ACのCMで声のない場面を表示した後、想像したのは男性の声か女性の声か、と問うCMがある。
ジェンダー問題は、この、場面にふさわしい声を男性の声か女性の声で想像したことが問題なのではない。そこから起こる偏見によって起こる問題について問題にしているのである。男性の声か女性の声を推定することは問題ではない。人間は生存するために不明な件については経験による推定を行う。それが男性の声なのか女性の声なのかは単なる推定の結果でしかない。みんなの推定の結果が偏っており、そのせいで問題が発生する場合は、それがジェンダー問題となる。
このCMではまるで推定した結果が男性か女性となったことが、決めつけであり偏見であり問題である、と受け取られかねない。常に推定するときは男性か女性か無意識に想像していることを気にしなさい、と言っていると思われかねない。無意識の想像は当然なのである。少ないセリフや状況のヒントから素早く可能性を考え、これまでの経験からふさわしい声を想像する、それはその後になるべく早く円滑に問題対処できる可能性を増やすため、無意識にも見える動作なのである。それを否定する、邪魔をするようなCMはいかがなものだろうか。人間の生存能力の抑制、否定ではないだろうか。
このCMのように問題、論理のすり替えを行って対象に誤認させ優位に自分の思惑通りに誘導を行おうとするのは、詐欺・洗脳の手口であり、そのようなCMの横行は容認できない。
ACのCMはどうしてこのように、小賢いギミックで他人に気付きを与えることができます系のものが多いのだろうか。啓発ってそういうことなのだろうか。なぜ具体的なジェンダー問題に言及するとかできないのだろうか。ヤングケアラーのCMもやっているような気がするが、まるでヤングケアラーは廃人みたいなイメージをまき散らしている。それこそヤングケアラーは精神疾患を抱えていてグループ療法が必要で、みたいな感じである。困っていたら相談できますとかヤングケアラーの立場に寄り添ったCMはできないのか。これではただの害悪である。