コロナとオリンピックを克服した日本の市民

投稿者: | 2021年10月2日

 オリンピックをコロナ克服の象徴としたいと言っていた首相がいたが、逆にオリンピックこそがコロナの最後のボスキャラとなりコロナ史上最大にしてけた違いのパンデミックを発生させた。コロナ克服の象徴どころか、オリンピックこそが最大最悪の克服すべき対象となってしまったのである。

 普通に考えれば、オリンピックは世界最大のイベントであり、伝染病が流行っているときにやってはいけないものの最右翼なのである。スポーツの種目ごとの世界大会ならまだしも、オリンピックはそれらを無理やり集めて行う祭典。祭典はおおいに結構なのであるが、それは伝染病が流行っていないときの話なのである。流行っているときにやるなど伝染病がまき散らされる場を作り出すものとなり、愚の骨頂と言わざるを得ない。

 せめてワクチン接種が必要十分に達している状況であれば良かったのだが、実際にはそうではなかった。この場合、間に合うように手はずを整えるか、間に合わなければ延期もしくは中止をするのがまともな人間のすることである。そうでなかったのは、為政者が正しく計画できなかった、正しく対処できなかったと言うことである。自民党は言うまでもなく、オリンピックの理念から政治問題化するべきではないなどと「伝染病」が聴いたら泣いて喜ぶような狂ったことを言っていた公明党は、庶民ではなくコロナの強い味方として、自宅療養で苦しみ死んでいったたくさんの人から末代々まで呪われるのは間違いない。

 しかしオリンピックによるパンデミックはオリンピックが終わってしまえば下火となった。この点でもオリンピックがパンデミックの原因であることは火を見るより明らかなのではないかと思われる。実際には自宅療養者の数がまだ多いなど事態としてはどうかと思われるかも知れないのだが、ともかくも新規感染者の方はそうとう減って、緊急事態解除となった。オリンピックと言う緊急事態を日本の市民がほとんど自助でなんとか克服したのである。

 現段階では、新種を遠くに拡散させること、遠くの新種を受け入れてしまうことが危険なのではないだろうか。近場の飲食や人流では対策を取っていれば感染はしない。どうしても外国人は新種を持ってきてふるまい的にもウイルス拡散力の強さを感じるし、国内遠距離旅行も感染対策がおろそかになりがちで、飲食店の人数制限、飲酒の禁止と言うあまり意味のないことをやるよりも、こういう人流こそ引き続き抑制しつづけることが大事ではないかと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です