福島民友の記事が酷い。
パブリックコメントの書き方が拡散されている、って書き方なのだから何の問題もない、と言うか、むしろパブリックコメントが増えるようにしてくれているのだから、パブリックコメントを募集する側としてはありがたい話で問題視する方がパブリックコメントを邪魔しているおかしな意見である。文例があると言うのも、こんな風に書けば良いのか、と言う例なのだから当たり前の話で、それをコピペしろとあるのであれば良くないが、その点については示されていない。
そもそもパブリックコメントは「公的な機関が政策や規則などを定める前に、広く一般から意見や情報を募集する手続き」である。記事内で『環境省担当者は「パブコメは中身が重要。件数自体に重きを置いていない」と強調。総務省も「国民から幅広く意見を募る制度で、同じ内容をいくら提出しても無意味だ」と説明する。』とあるのも恣意的に歪められたもので、あくまで、まったく同じ内容をたくさん出されてもそこにあまり意味はないと言いたいだけで、件数が多いと言うのもそれだけの関心事であり、関係者がいると言うことで、意味はある。そうでなければパブリックコメント自体に意味がないと言っていることになり、省庁も意味のないことをやっていることになってしまう。意見を求めるだけならば、広く一般に募らずに、ピックアップして聞き取りすれば早いのだから。聞き取りはすでにやっているはずで、パブリックコメントは「広く一般に募る」ことが、透明性につながると言うことで別の目的を持って行われている。多く集まったのであれば「広く一般に募る」ことができたわけで、良かったと言う話なのである。
『「パブコメへの組織的な干渉が放置された結果、恣意(しい)的にゆがめられた『民意』が既成事実化した」』とあるのだが、「SNSで拡散」と言うのは基本的に公開されていることなのであるから、「組織的」とは言い難いだろう。もちろん、統一教会のような邪悪な団体が組織的に動く、と言うことは往々にしてあるのだが、そのあたりについてはまったく言及がなく、組織の存在を仄めかした陰謀論でしかなくなっている。本当に陰謀を行う悪の組織がいると言うならば、そこを報道して欲しい。これではパブコメ不要論、もしくはパブコメに国民の多くの意見は要らない、と言っている人権無視記事である。
この件に絡めて「風評被害」が言及されているのだが、原発事故も汚染土も「風評」ではなく現実に存在している。汚染土が「風評」ならば除染しなければ良いが除染していると言うことは汚染が実際にあると公に認めていると言うことである。実際に存在していることならば「風評被害」ではない。
例えば、
「盗んでいないのに泥棒と噂されている」これは風評被害と言えるが、
「1万円しか盗んでいないのに100万円盗んだと噂されている」これで「風評被害だ」と言っても、「泥棒したことには変わりないじゃん」、と言う突っ込みを受けるだけではないのか。
まず「風評被害」と言う間違った言葉をやめるべきである。
巨額の損害を出している原発事故は福島県も含めた国民全員が国民的大失敗として認識すべきである。「風評被害」と言う言葉は、福島が被害者で他の国民が無知で無責任だと言っているようなものである。他の国民は少なくとも無責任ではない。税金を負わされるなど損害の影響を受けている。放射能の危険を警戒しなければならない、と言うこと自体、被害者の立場である。それでも安易に「風評被害」と言い続けるのであれば、そもそもの元凶としての福島に不満の矛先が向かいかねない。福島原発の被害を国民全体で受け止めているのに福島が福島以外を非難するのであれば、だったらそもそもの話をしよう、と言うことになる。そういう対立は避けようと言う話ではないのか。