斎藤元彦知事とか維新ってこんなのばっか

投稿者: | 2024年9月23日

 維新が出てきた時から維新の本質が、パワハラと私欲だなと思っていたけれど、県知事がこれなんだから、推して知るべしで、みんなこんな感じなんでしょうね。

 政党名って自分が求めるものが名前についていて、実態はもっとも遠い場合が多いです。

 例えば自由民主党は、地縁、血縁、世襲などしがらみが多くて自由も民主もない人たちが集まっているからこそ、名前で自由と民主を標榜してしまっているわけです。しかし、実際は一般よりも自由と民主が足りない環境、家族も仕事も自由と民主が足りない環境にいるわけですから、レベルの低い自由と民主でもありがたい、と逆に自由と民主が低レベルになってしまう。学校も仕事も結婚も何もかもしがらみを感じる世界で、夫婦別姓にする前に直すべきことが山ほどある、と言うかそんなこと許されるの?、と言うことなのでしょう。

 維新は、地縁、血縁、世襲の旧いしがらみ社会を、今の権力者より頭の良い、権力者になりたい人たちで成り代ろう、と言うことだと思います。今の馬鹿な権力者より頭が良いのだから、成り代わって同じことをやれば、うまくやれるのも当たり前、だと思っている。ただ、単純に成り代わって同じことをやるだけなので、権力を悪用するのも、パワハラも収賄も同じことをやるだけなんですね。だから斎藤知事も以前と同じことをやっちゃダメなの?と理解できないわけです。

 つまり、そこには「同じことをやるなら優秀な自分たちがやればよりうまくいく」と言う、鉄壁の理論があるわけですが、これは逆に「同じことをやる」つまり、新しいことは考えないと言うわけです。「維新」こそ新しいことができない、思いつかない、そういう人が集まりやすくなっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です