彼女は反省する必要などあるのか
財務事務次官のセクハラについての記事であるが、まったくその通りと言うか、
むしろ第三者に情報を流さざるを得ない状況に置いたテレビ朝日に問題があるわけで、
純粋にセクハラ問題と考えたならば処置を取らなかったテレビ朝日の問題が第一で、
そもそも犯罪の告発が第三者うんぬん言われるのならばもはや報道機関はいったい
何を報道するのかと言う自己矛盾に陥っているのに気づかないのが問題。
そして、上記記事は、そもそもまるで他人事のように語っているが、語っている本人が
告発しなかったことが今回の問題を招いた一端を負っているのに気づいていないのだろうか。
時代が仕方なかったとか言うのかも知れないがむしろ昔の方が自由だったのではないか。
報道機関に身を置いてセクハラを受けて悔しいと言いながら、告発者への「共感と敬意」などと
きれいごとしか言っていない。この記事を書いた人が告発できなかった正義感の無さ、
勇気の無さ、記者としてのプライドに欠けている、その結果として自分が告発しなかった、
と言う点について責める気はないが、それらについての反省と結果として今回のセクハラが
まかり通る社会を許してしまったことへの謝罪の気持ちを持って「反省と謝罪」を表明するべき
なのではないだろうか。一般人ならともかく、報道機関の記者がこういう傍観者的無責任では
いったい読者は何を読まされているのかと暗澹たる思いにならざるを得ない。