宝塚歌劇団はそのものがフィクションと言って良いのではないだろうか。日常生活もフィクションにする、最近はやりのリアリティーショーのさらに激しく度がきつい物と言えるだろう。
元々設定に無理があるので、そう長く続けられるものではない。「伝統」がと言う人もいるかも知れないが、それもフィクションである。ちょっと長めに興行が続いていただけで、いよいよそろそろ潮時、いや、こうなる前に解散するべきだったのだろう。この先続けても醜態をさらすだけである。
時代が変わって今はないが、昔はこんな酷いことがあった、と言われるものが現代に残ってしまっている、それが今の宝塚だろう。そして何かを改革したところで、基本的な構造が現代に適さない。
全国の一般の学校でも同様の流れが来ていると思う。おかしなことをやっている学校は生徒が耐えられず、問題が大きくなって顕在化している。全国の学校には役割があるので改革し存続しなければならない。宝塚は存続できるように改革したら宝塚ではなくなってしまうだろう。そこまでして名前だけ残すようなことをしても意味はない。
宝塚があったことで、封建的な学年関係が存在しても良いと勘違いされ、いくらか助長されてしまったと考えられる。最後潔く散ることが罪滅ぼしになり、美しい最後となるのではないだろうか。
フィクションはあくまでフィクション、宝塚はフィクション、これが徹底されていれば存続できたのだろうが、残念ながらそうではないと言う事実がまざまざとあらわになった以上、もはや夢を続けることはできない。