台風災害の被害が続々と拡大する中、ラグビーのワールドカップが行われていました。正直、中止するべきだったと思います。すぐ近くでまさに被災している人がいるところで強行する理由はないと思います。とは言え興行ですから催行者が行える範囲で行うと言うのならそれを咎めるつもりもありません。ただ、「被災者に勇気と希望を与えたい」と言うのは間違っていると思います。昨今、興行を行う上で被災者との関係で正当性を持つのにもっともらしい論理として「勇気と希望を与えたい」と言うようなことを言うのが出てきているように思えます。
被災後に計画したのであればそういう意図を持った興行と言うことはできるでしょう。もしくは、被災前に決まっていた興行でも、状況が変わった中、いろいろ検討する時間があった後であればそういうことを言うのも理解できます。しかし、まさに被災直後の興行は、「勇気と希望を与えよう」と言うのを目的の一つとして決めてやってるわけではなく、むしろ被災している中やるかやらないかをやる方向で決める上で被災者との関係に整合性を持たせる都合の良い論理としての「勇気と希望」と言う側面が非常に強い。そして、今まさに被災して疲れ切っている人が自分たちと関係ない所で、言っちゃ悪いがのんきに試合している人たちから「勇気と希望」なんか得られるわけがないんです。もちろん一部にはいるかも知れませんが、逆に自分たちをダシにして、と更に不快に思う人もいるはずです。
被災者が自ら「勇気と希望を与えられた」と言う分には問題ないと思いますが、自分で「勇気と希望を与えたい」と言うのは非常に傲慢です。いわゆる「自分で言っちゃいけないやつ」だと思います。
二階官房長官の「まずまずで収まった」も自分で言っちゃいけないやつなんだと思います。政府の災害対応についてそういう評価を得たいと言う願望があり、そういう発言をしてメディアに載れば世間がそういう空気になるのではないか、と言う世論誘導を意図した発言なのかと思います。しかし、千曲川流域や死亡者などの報道を見るたびに「まずまずで収まった」がオーバーラップして「ちっともまずまずで収まってなんかいない」と思ってしまいます。官房長官と言えば政府のナンバー2ですから、発言の時点ですでに酷い被災状況を想定できていて、その対応が最優先であると認識しているタイミングのはず、と言うのは誰しも想像に難くないわけで、にもかかわらず国のナンバー2が深刻な被災状況の把握と対応に集中していないような発言が出ていることに国民は違和感と恐怖を感じているわけです。彼も早々に他の人に役を変わるべきではないでしょうか。