「プロレス芸」は、プロレスが芸であると言っているのではない。「プロレス芸」と言う言葉に対して認めないかのようなおかしなことを言っている人がいるらしいが、プロレスの真似を行う「プロレス芸」は存在する。相撲だって相撲を取っているふりをする神事芸能は存在する。むしろ芸の存在を認めない方が、真剣にプロレス芸をやっている人に対する冒涜なのではないだろうか。
プロレスは派手な動きが真似事でも興行になりやすいものだ。反則だらけのプロレスショーも可能だ。他のスポーツではこうはいかない。危険だから真剣勝負のプロレスはそうそうやりにくいと言うのもある。正直、真剣勝負のプロレスの方が希少だろう。プロレスがすごいものだからこそ、プロレス芸も存在するのだ。プロレス芸を否定することは、プロレスがプロレス芸が存在するに値しない卑小なものだと言っていることになるのではないか。
「プロレス芸」は真剣勝負ではなくシナリオのある真似事であると言う意味で使われ、あまり良い意味ではないかもしれない。しかし、逆に、真に迫ったものである、真剣勝負と見分けがつきにくい、派手なショーと言う意味が強く含まれていると言うこともある。ゆえに単なる「出来レース」や「やらせ」「八百長」ではなく「プロレス芸」と言う表現が使われるのだろう。
むしろこの騒ぎは「プロレス芸」と言った人を責めるためだけの言葉狩りであり、単なるいいがかりだろう。やり口が汚い。これこそ、正々堂々の勝負ではない、「反則だらけのプロレス芸」である。