「犬が父親で黒人が兄弟」と言うのが人を侮蔑する表現として使われていたのは昔聞いたことがあります。ソフトバンクのCMについてのネット上の書込みで思い出したのですが、そんなことはすっかり忘れていたので、何かネット上で言及されていないか調べたのですが、ほとんど見つかりません。ただ、どうも朝鮮の方では人のことを犬の子と侮蔑したり黒人への差別が強い、と言う記述が若干みられます。もしかしたら、韓国語で調べればもっと情報があるのかも知れません。
もし「犬が父親で黒人が兄弟」と言う侮蔑表現をモチーフにCMを作っているのだとしたら、これはどういうことなのでしょうか。
まず、結果としては、そういう侮蔑表現があった、と言うことはまったく話題になっていません。つまり日本人の間では「犬が父親で黒人が兄弟」が侮蔑表現である、と言う認識はないと言う事実が分かります。
次に、先程は「もし」と言いましたが、「犬が父親で黒人が兄弟」と言う侮蔑表現が侮蔑表現であると言うことを皆が認識していたわけではないでしょうが、どこかでモチーフとして入り込んだのは間違いないでしょう。何もない所から思いつく設定ではないです。だとすると、どういう経緯で入り込んだのか。潜在的な知識の元、こういう設定なら面白いだろうと思ったのか、なんらかの顕在的な意図持って行われたのか。
悪意を持って行われたのならもちろん許されないですが、皮肉、批判的な意図を持って行われたとしても、このようなものを潜在的に大衆に大量宣伝されるのは問題があるのではないかと思います。「犬が父親で黒人が兄弟」と言う概念は日本ではまったく意味をもたない。そこに敢えて「犬が父親で黒人が兄弟」と言う概念を浸透させているのは間違いない。今の所、日本では「犬が父親で黒人が兄弟」は楽しいもの、として浸透させられている。どちらかと言うと韓国の因習を笑うと言う感じだが、日本人はものを知らない、バカだと言う話にもなりかねない。おふざけでやって良い話ではないではないと思います。
差別表現を巧みに顕在化させずに表現に使用する、と言う行為は、なかなか批判しづらい。問題とする差別表現自体が禁忌となって議論のために伝えることも難しい。批判対象もそれが悪意があるのかも証明し難いし、その表現が起こす悪影響を証明するのも難しい。しかし、おかしいことが行われている以上、無批判のままとしてはいけないでしょう。なんらかの意図を潜在的に流布するのは大衆操作であり、我々は常にこういうものに危機感を持つべきでしょう。