新型コロナウイルス対策で間違えてはいけなかったこと

投稿者: | 2020年3月8日

 検査体制は早急に十分に整えるべきでした。とにかく検査をして感染・非感染の判定をしないと、

  • 感染源の調査ができない
  • 感染させた可能性のある人への対策ができない
  • 感染者本人が感染者としての行動が徹底できないので、
    • 他の人にうつす可能性が増える
    • 重症化する可能性が増える
  • 社会の対応も
    • 誰が感染しているか分からないので対策を最大とする
    • しかし、感染疑惑の段階ではやり過ぎと思われるような対策は、効果的であっても取ることができない

 しかし、1月14日の国内患者発生第1例からこれまでの間、非常に動きが悪かったと言わざるを得ません。 感染研がデータを独占したいために民間などへの検査の普及を渋ったと言うような話もあります。一般病院からの検査依頼が抑制される状態が1ヶ月以上続いた結果、病院を8回受診してようやく最近検査できて陽性判定となった、と言うようなことも起きています。

 韓国では検査が迅速に行われて感染者が大量に見つかっていますが、それに対して軽症者が病院に入って重症者が病院に入れない、なので検査ができるのも考え物、みたいな論調のニュースがありました。こういうニュースは武漢でもありましたが、これは患者の入院の割り振りの問題であって、検査しない方が良いなんてことにはなるわけがないので報道機関はうのみにしないでそういう考え方は間違いであると言う但し書きをつけて報道して欲しいものです。

 重症化すると死亡率が高い老人は軽症段階での検査がより重要だったわけですが、重症者のみ検査すると言うことは老人に死ねと言っているのに等しいことであったと言うことも付け加えておきたいです。

 結局、そういう状態なので政府も一斉休校と言うできる限り最大の対策を実行してしまいました。恐らく、これから先どうなるか想像してみたところ、ドラマや映画でありがちな、子供たちの間で集団感染が発生して政府が非難される場面が思い浮かんでしまったのでしょう。確かに学校で集団感染すれば行政が非難されかねないのは想像に難くないところですが、だからと言ってじゃあ学校を閉めてしまえば良い、と言うことにはならないと思うのですが。少なくとも学校で集団感染と言う場面はなくなった、と言うことですが単なる責任回避ではないでしょうか。

  一斉休校が多数の経済的損失を生んでいることは報道されていますが、そこまでの犠牲を払った一斉休校が逆効果と言う恐れはないでしょうか。 小中高等学校は不特定多数ではなくメンバーが決まっています。出席も確認されれば、体調も気にされます。子供たちは長時間拘束されるため活動には制約が発生します。ところが休校にしてしまうと子供たちは不特定多数が集まる所に時間的制約もなく行くことが可能になります。もちろんこの社会状況では自律的にも他律的にもこれら行動が抑制されるわけですが、ほぼ全員の子供たちが自由に動けるようになっているわけですから、結果、総量やその行動範囲が普段よりも多く広くなってしまうことはないでしょうか。

 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が発表した見解の中に「全国の若者の皆さんへのお願い」と言う10代、20代、30代の人へ行動の自粛の要請がありましたが、もしかしたら上記の危惧を忍ばせたものだったのでしょうか。しかし、結果は若者が感染拡大の原因であるかのようなミスリードを生み、 一斉休校を後押ししているように感じる最悪のメッセージとなってしまいました。一斉休校は専門家会議は一切提言していないので、本意は政府の一斉休校方針のしりぬぐいだったと思われますが残念です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です