政治勢力を分類するとき、「保守と革新」と言う分け方は間違っていると思う。
反自由と自由、退化と進化と言う尺度の中で、「反動」と「保守」(現状維持)と「革新」と言えるだろう。
「保守」とは現状から変えたくないと言うことである。
「革新」は進歩を望むものであり、進歩するとはより人間が自由になる方向である。
逆に人の自由を抑圧するのが、進歩の反対で、「反動」と呼べる。
昔から保守対革新と言う構図でとらえられているが、実際は保守を真ん中に反動と革新が存在している。
「保守」はあくまで現在の状態を「保守」するものである。女性参政権を認めないとか、王制を復活したいとは一切思っていない。それは、「反動」である。高市早苗は反動政治家である。他人の人権を、自由を認めることができない退化を求める政治家である。
ちなみに「中道」と言う分類もあったが、これは「保守」と「革新」の間を是々非々でとうたっていたが、政策としての「是々非々」ならば自由になる方が常に「是」なわけで、「非」になることはない。実際には自分の都合、おもに権力を得る上での「是々非々」が行われていただけであった。
現状が安定している限り、保守層が厚くなる。「反動」や「革新」は「保守」を取り込んで政治を行っていく必要がある。
もともと戦後は本当の「保守」と「革新」と言う構図だったのかも知れない。「反動」がうまく「保守」に紛れ込んで、保守政権が続くことでいつのまにか反動が幅を利かす状況になってしまったのかも知れない。そんな現状で「保守」対「革新」としてしまっては、実質「反動」+「保守」対「革新」となり、革新が負けるのは当たり前である。「反動」対「保守」の構図にもっていかなくてはならない。