阿毎多利思比孤

投稿者: | 2026年5月2日

 随書倭国伝で「あまたりしひこ」ではないかと言われているが、「あま」は恐らくあま族のあまであろう。たりしひこは、たるあしひこ=足る足ヒコではないかと思われる。つまり、あま族の足足。

 安曇氏は「あま」族。「安曇(あづみ)は海積(あまづみ)より生じ、海部(あまべ)の民の長の称なり。」 そこに百足足尼命( ももたり)と言う人がいたが、おそらくこの名前だろう。この名前は400年代にも出て来るが、播磨国風土記にも600年代に「阿曇連百足(アヅミノムラジモモタリ)」が出てきている。「あまたりしひこ」が600年に随に来たのはたぶん間違いないので、その頃に百足を名乗る人がいたと言うことになる。ただ、この名前を名乗っている人が複数いる可能性はある。

 息子の名前が「りかみたふり」。この人のことが何か残っていれば特定できると思ったのだが、何も残っていない。たぶん当時の立派な名前だったのだろう。そう考えると、例えば「日神魂振り=ひかみたまふり」のような大仰な名前だったのではないだろうか。

 阿毎多利思比孤を無理矢理推古天皇だの聖徳太子にだのしようとしている人がいるが、素直に読めばあまのたりしひこを名乗る者が随にやってきたと言うことなのだろうと思う。

 

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